脳内写生3

脳内写生は選ばれた少数の例外者のための案内表示であり、「飾り窓の天使」と連携したブログです。

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三島 檄文
昭和45年11月25日、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地でバッルコニーの上から演説し、その直後、割腹自決・斬首させた事件、あれからちょうど50年。
三島は体格が貧弱で体質も虚弱であったことから体型コンプレックスがあったとか、それが原因で徴兵検査を通らなかった、あるいは小説家としてノーベル文学賞を切望しながらそれがかなわなかったので落胆した、故意に同性愛を匂わせた、右翼のシンボルになった等、生前死後を通じてさまざまなイメージを身にまとって来ましたが、実はそれは「例外者」特有の「人格の偽装」(まぼろしの分身)でしかありません。

「例外者」とは道徳・宗教・社会規範・常識等の大衆や衆愚の世界を超出した複数の人格を身にまとう大衆社会から逸脱した人物であり、サイコパスに類似している部分があることは否めないもののサイコパスと根本的に違う点は「知的な活動が顕著」であることです。
三島は3~4つの人格を自在に使い分けていたのであり、彼の言動や作品を丹念にたどっても彼の真の正体に近づくことはできません。
なぜなら、「例外者」は自らの言動や著作物・表現物を残すにあたり、後世の者がその足跡をたどろうとしても、その真の正体に近づけないないように、出られない迷路を造ったり、大衆や後世の者を惑わし、遭難させる目的で「登山道の道しるべをわざと別の方向に置き換えておく」という特徴的な習性があります。

「例外者」はこうすることで、自身を大衆に理解されることを拒絶すると共に、大衆に理解されないことで孤独な「砂漠のライオン」となれるのであり、そこに「例外者」がもっともあこがれる「大衆に理解されない名誉」「大衆から誤解される名誉」を得るのであり、その先にさらに「なにものにもとらわれない・なにものにも従属しない・なにものでもない」「聖なる者」「至高性」「神々の創造主」という究極の官能的領域に到達します。
(おそらくこのことが大衆が理解できないテーマであり、「究極の官能的領域」を捕まえ損ねた者がサイコパスや性犯罪者になるという理論すら理解不能と思います)

三島があのとき、自衛隊員に向けた「檄文」の内容そのものは、実は正しかったのですが、一方で大衆の集団であり規律に囲まれた自衛隊員に向かって「覚醒を促し、〈われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである」(要旨)と「例外者」として呼びかけたこと、それ自体が三島の「限界」を物語っています。

もし、三島が「なにものにもとらわれない・なにものにも従属しない・なにものでもない・聖なる者・至高性・神々の創造主」という究極の官能的領域に到達していれば、大衆を相手に覚醒や救済を促すことはまったく意味がないことであり、大衆はあくまでも大衆に留まるべきであり、「虫けらの命などどうでもいい」「大衆を導くことなど人生の浪費であり、例外者としての自己陶冶・自己実現に専念すべきであると気付いていたはずなのです。

例外者の領域はきわめて危険な思想であり、知的な世界にとって劇薬・劇毒物・爆薬・麻薬・幻覚剤である反面、例外者が過去に残した歴史上のまれなる偉業・異業はいまだに鮮明に輝き続けています。
(大衆にとってそれは不条理な災厄であったとしても・・・)

このブログの目的は「なにものにもとらわれない・なにものにも従属しない・なにものでもない・聖なる者・至高性・神々の創造主」という究極の官能的領域をめざす、大衆から超出した「例外者」のための「みちしるべ」であることです。
判らない人には判らなくていい、大衆は立ち入り禁止、選ばれたごく少数の知的で異質な人を見付けたい、ヒントは官能領域にある、だからこそアダルトのカテゴリーでブログを書いているのです。
(関心がある方は書き込みができないように設定してあるこのブログのコメント投稿蘭を通じて当方にアクセスしてください)



新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の分科会会長の尾見 茂医師が、昨日、東京都の感染者数が約500人と急増した件で「ふんどしを締め直す必要がある」と発言しました。

「ふんどしを締め直す」とは古風な言い方ですが、「ふんどし」は男性用の下着なので、厳密に言えばこれは「性的差別表現」と言えます。

コロナ感染症で有名になった「プリンセスダイヤモンド号」で、全艦を消毒する前の調査においてコロナウイルスが最も多く検出されたのが実はトイレの床でした。

空気中を漂うウイルスがホコリに付着して床に落ちる、あるは発症していない保菌者の便が水洗トイレの水を流したときにトイレの床に飛沫として飛び散る。

家庭内感染や施設内での感染・飲食店でのクラスターが増えている原因な何か?
手洗い・マスク・飛沫感染防止・換気・ソーシャルディスタンスを徹底しても、感染が拡大するのはトイレの床の殺菌や靴底の殺菌が行われていないからではないかと私は思います。

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教師によるワイセツ事件が続出しています。
文部科学省の発表では、2018年度に懲戒免職になった教師231人のうち、ワイセツ行為が70%もあり、10年前の1.7倍になるそうです。
特に公立学校の教職員の性犯罪は教職員5000人に1人という高い確率であり、一般人の性犯罪率よりもかるかにも多い状況です。
「実際には事件を起こしても、懲戒免職になるケースは非常にまれ。
しかも免職(教員免許失効)となっても、3年たてば再取得が可能。しかも勤務先の都道府県を変えれば、再就職もできる。
過去にはワイセツ事件を起こしながら、3年後に別の自治体でワイセツ行為で逮捕された事案もあります。
また現行の制度では教職員の性犯罪は懲戒免職にならないケースがほとんどで、再就職の道を閉ざすのは人権上の理由から難しいという意見もあります。


なぜ教師は18歳未満の児童・生徒を狙うのか?
教職員のワイセツ行為の相手は、実は60%以上が18歳未満の児童・生徒なのであり、一般人の性犯罪の被害者の年齢に比べて、あきらかに18歳未満が多いという特徴があります。

なぜ教師の性犯罪が多いのか?
それは教師の周りに少女たちが集まりやすく、彼女らに接触する機会が多い仕事であると同時に、ロリコン的な性癖を持った者が合法的に少女に近づく目的で教師になる可能性もあると思われます。


さらに教師は「禁じられれば禁じられるほど侵犯したくなる妖しい世界」に身を置いているという現実があります。
教師なんだから教え子の少女を性的に見てはならないと思えば思うほど、教え子の少女たちの何気ない姿態はじられれば禁じられるほど妖しい魅力を帯びてきます。
公立で教師なのだから女子高生にワイセツなことをしてはならないと思えば思うほど女子高生はまぶしく見える。

エロチシズムの本質は、タブーや禁じられたことをあえて侵すことで高まるのですから。
そういう意味で男性の教師ほど悩ましい職業はないのかもしれませんね。

(画像はネットで見付けました)

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