脳内写生3

脳内写生は選ばれた少数の例外者のための案内表示であり、「飾り窓の天使」と連携したブログです。

2014年12月

ライブチャット
ライブチャットとは、PCとWebカメラを駆使してインターネットを通じてお互の映像を見ながら意見交換する仕組みのことですが、当然のごとくアダルト系とノンアダルト系が存在します。

アダルト系の代表は「2(ツー)ショットチャット」と呼ばれる仕組みで、チャットレディと呼ばれる女性が自室風の狭いスタジオで待機しており、会員登録した男性が10分数千円の料金を支払って気に入ったチャットレディとエロいお話をします。
 
「2ショットチャット」の多くは、会員登録した男性にはチャットレディの映像が見えていますが、チャットレディには男性の映像は見えず、男性の音声だけが聞こえています。

さらに「2ショットチャット」中にチャットレディがオナニーを見せるとか、男性会員が遠隔操作でチャットレディの局部に当てられたバイブを動かす等のサービスもあります。

また「2ショットチャット」には「パーティチャット」と呼ばれるサービスがあり、複数の男性会員が一人のチャットレディとエロいお話をするとか、複数のチャットレディと、複数の男性会員がエロいお話をするサービスも存在します。

チャットレディの時給5000円ぐらいだそうで、風俗嬢のように男性のカラダに触れないので希望者も多く、女子大生やフリーター・主婦に人気があり、チャットレディの「質」もいいんだとか。

エロチャットは、サービスを提供する会社が地方にサテライトスタジオを置き、この会社のサーバーを通じてライブ中継することも可能であり、慣れてくると自宅でPCにWebカメラとサービスを提供する会社をつないでインターネットを経由してエロチャットする在宅チャットレディもいるそうです。

このため、「真面目」に働くと普通のOLさんより稼げるようで、女性誌やタウン情報誌等にはチャットレディ募集の広告がたくさん掲載されているんですよ。

無題599
ある女性タレントがブログで上記の画像をアップしたところ、「下品だ」とか「もっと見せろ」「エロい」等の書き込みが殺到しました。

このため、この女性タレントが慌てて「この画像は私自身ではなく、外国の女性写真家が撮影した芸術作品です」(要旨)との訂正を行いました。

上記の画像は女性の股間と思われる部分にプリズム様のもので光線を当てた構図であり、芸術写真と言われればそうとも見えるし、エロ画像と言われればただのエロ画像にも見えます。

かつては、ヌード写真の場合、芸術写真はモデルが無表情であることが必須条件であり、ヌードモデルがなんらかの表情を現わしている場合はエロ写真と見なされていました。

つまり芸術とエロの区別は、女性のモデルが単体で無表情であれば、どんなにセクシーなポーズをしていても、芸術写真とみなされ、モデルがヌードでなくても少しでも微笑んでいたら単なるエロ写真と見なされていたのです。

もともと芸術とエロの境界は、それほど曖昧(あいまい)であったのであり、上記のような画像は、むしろ芸術とエロの境界を故意に狙ったものと言えます。

ちなみに真の芸術とは「大衆が理解できない高尚な領域を表わした作品」に限定されていたのであり、お金に換えがたい高貴な価値があるものを「芸術」と呼んでいました。

例えば「ピカソ」「ゴヤ」「ニーチェ」「信長」などが「大衆に理解されることをかたくなに拒んだ芸術家」と言えます。

ところが今日では法外な値段が付けられた作品やお金と交換できる作品が「素晴らしい芸術作品」と見なされ、芸能人・タレントまでもが自らを「アーチスト」と自称するほど芸術そのものが「大衆化」されてしまいました。

でも、「真の芸術」とは大衆に対する拒絶なんです。


小悪魔image
いわゆる「ギャル」とか「コギャル」と呼ばれる10代の女性や「小悪魔」と呼ばれるド派手な若い女性のファッションが急速に衰退しているのだそうです。

「ギャル」「コギャル」「小悪魔」は、一言で表現すればヘアをアゲアゲにした「キャバ嬢風」のファッションだったのであり、長い不況の中では「目立とうとすること」が社会的にはマイナス要因であり、生活上のリスクであることが、ようやくお馬鹿さんである彼女たちの乏しい能力でも認識できるような状況になってきたと言う訳です。

文字通り「出る杭は打たれる」のであり、ハタ目で見ると文字通り「イタイ(痛い)」「痛々しい」のであり、「コギャル」や「ギャルママ」たちは5~6年もすれば、いつの間にか「オトナ」の女性になっているんです。
 

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「スクール水着」の次にスケスケの「レースのミニスカ」を取り上げ、さらにそのあとで「CIAの拷問」を論じたところ、突然、読者が急増しました。

なぜ「アダルト」のカテゴリーに分類されているこのブログ「脳内写生」が、 突如として「CIAの拷問」を論じたのか?

ブログ「脳内写生」は、gooブログ時代から通算するとすでに8年半も続いており、「大衆ではないごく少数の選ばれた異質な外者のための誘導灯でありたい」と願い、その一方で大衆・衆愚に対しては「あえて異論を唱える・あえて極論を唱える・あえて暴言を吐く」というスタンスに徹しつつ、大衆が避けようとする「性欲や性愛」について堂々と論じつつ、ときには時事問題についても鋭く「あえて異論を唱える・あえて極論を唱える・あえて暴言を吐く」ことを標ぼうしています。

さて12月もあとわずか、スカートめくりカレンダーなどいかがでしょうか?

米ブッシュ政権時代に、イランやアフガニスタンで捕虜等になった人物に対して過酷な拷問を行っていた件で、オバマ大統領がこれらの情報を公開したことで、米国の捕虜等の拷問とその「人権」について非難が起きました。

確かに、戦争捕虜の拷問はハーグ条約において禁止されていますが、テロリストに対する強圧的な尋問を明確に禁止した条約等は存在しません。

特に9・11(NY世界貿易センタービル・米国防省へのテロ攻撃)という苦々しい経験を経た米国にとってテロリストを捕まえることは国民と軍人・CIAにとって至上命令であったのであり、当時やや勇み足的な行き過ぎた取り調べが行われたとしても、当時の世論はおおむねこれを許容していたと思われます。

実は、戦場で凄惨な殺し合いを行いながら、捕虜を拷問するな、人道的に扱えという論理そのものが非戦闘員の発想であって、より戦果を上げるためには、そしてより犠牲や被害を少なくするためには、あらゆる手段で敵の捕虜から情報を引き出すことは戦闘行為よりも重要なことなのです。

もちろん、拷問によって得られた情報にはウソが多くて信用できないことも事実です。
でも複数の情報源から得られたあいまいな情報を分析し、そこからひとつの確信を導き出すことが情報分析を仕事とするCIAの本来の仕事なのであり、中国が米国には人権を語る資格がないとか、米国は中国の人権問題に口を挟む資格がないと言った批判には、故意に論点をすり替えようとする意図があります。

スパイやテロリストは捕虜になった場合を想定し、拷問に耐える訓練も受け、さらに拷問されたら事前に打ち合わせ済みのウソの情報を与え、相手を混乱させ損害を与えるように訓練されています。

こうした筋金入りのテロリストに対して「人権」を唱える必要はなく、「人権」や「人道」を唱える者は、「人権」や「人道」を隠れミノにしていると疑う必要があります。

天安門広場に集まって民主化を叫ぶ学生を戦車で押し潰したり、香港の市長の選挙を誰でも立候補できる普通選挙にするよう求める市民を武力で排除することと、テロリストから国家や国民を守るために行ったテロリスト容疑者に対する過酷な取調べや拷問は断じて同列に論じるべきものではありません。

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