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2017年10月7日夜、連続幼女殺害事件の宮崎勤(すでに死刑執行)についての特番が放送されました。

彼は自分の中に「ネズミ男」がいるとか、多重人格であるかのような証言をしておりましたが、実は誰だって宮崎勤なのであって、自分の中に「もう一人の自分」なる存在を内包しています。

ただその醜悪な自己を内奥に留めておくか、その醜悪な「もう一人」の自分を脳の中から外に出すかの決断(理性)の違いなのです。
ちなみに宗教的な覚醒(さとり)は、蓮(ハス)の華にたとえられるように、まさに汚泥の中に根を張った蓮の中から蓮の葉が育ち、茎が伸びて、やがて華麗な蓮の華が開くのであって、汚泥がなければ宗教的な覚醒はないことを意味しています。

画期的な発明とか高い芸術性は、すべて自己の内奥にある醜悪な「もう一人」の自分から発せられた妄想を元にアレンジされたモノやコトであって、その根源がまさに「もう一人」の自分「宮崎勤」なのです。

もし「私には、そのような醜悪な自己は存在しない」と断言する読者がいるのであれば、よほどのバカか凡庸で退屈な大衆であることに気付かない人物であるのです。

醜悪な「もう一人の自己」の存在や汚泥に気付きたいと思うのであれば、性欲という沼の中に我が身を沈めるしかありません。

このテーマは「判らなければ判らなくていい」 「判る人にだけ判ればいい」のです。

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