レースの添え物
米国で現存する最古のミスコンテスト「ミス・アメリカ」の運営団体は、今年9月の大会から水着審査を廃止すると発表しました。
米国では、反セクハラの「Me Too」運動が広がっていることから、出場者である女性を外見で判断しないことにしたものです。
同団体は、ツイッターで「バイバイビキニ」のハッシュタグを付け、ミスコンがもはや美人コンテストではない「新しい時代に入る」と表明していますが、それってただの「面接」とか「弁論大会」じゃないのかな。


一方、彼女たちは強制されてエントリーしているのではなく、むしろ自分に自信があって、公に女性として評価されたい、そうした注目を浴びたい、自分の魅力をアピールしたいと願う女性が水着で登場するのですから、こうした女性の願望を満たす機会を一方的に奪うのは反対だという意見もミスコン狙いの女性を中心に根強く存在します。

同様にF1カーレースにおけるレースクィーンやグリッドガールと呼ばれるカーレースの「マスコット的」な過激な露出が多い女性たちも、女性をレースの添え物として扱っているとの理由でF1カーレースの主催者が廃止を決定したものの、レースクィーンやグリッドガールの仕事を奪うとか、自分たちは強制されてハイレグを着ているのではなく、むしろ自分に自信があって、公に女性として評価されたい、そうした注目を浴びたい、自分の魅力をアピールしたいと思う願望を満たす機会を一方的に奪うのはひどいと訴えた結果、どうやら復活するらしいのです。

男女の比率が50%:50%とするのであれば、民主主義の原則である多数決は通用しませんが、仮に多数決で上記の問題に決着を付けようとすればミスコンもレースクィーンも存続させたいという結論になるのではないかと思います。

ただし、女性を添え物として見るか、水着審査を性差別と見るかは多数決では決着が付かない問題だからこそ主催の判断が揺れるのでしょう。

私は、それなりにきれいな女性が女性らしさを発揮することに異論はございません。