まず、過去のブログを引用します。(長文です)
【不倫ハラスメント(2018年01月24日)
不倫は刑法上の犯罪ではないのに、メディアに大々的にあばかれ、世間の晒し者にされます。
政治家や公務員・教員ならいざしらず、芸能人やタレント・アナウンサー等の不倫が次々とあばかれていますが、不倫というプライベートな恋愛が公にされることで、当事者が社会的に抹殺されるほど不倫は悪いことなのでしょうか。不倫は本来、不貞行為として民法770条の離婚の原因に該当することがありますが、あくまでもそれは当事者間におけるの民法上の賠償責任にとどまるはずです。不倫は犯罪ではない、当事者間のプライベートな問題であるのに、メディアによってフレームアップされ、法律のワクを超えて、大衆による「リンチ」(私的処刑)のような形で才能がある人物が社会的に抹殺されてしまいます。結局、メディアは不倫だ不倫だと騒ぎますが、不倫は犯罪ではないのですから、これは「メディアによる不倫いじめ」なのであり、「不倫ハラスメント」と呼ぶべきなんです。なんでもかんでも「セクハラ」と決めつけられると、男性が女性を口説くことすらはばかられるような社会になりかねません。愛する人と親密になることは、たとえ配偶者がいたとしても、誰にも止められない激しい情恋が根底にあるのであり、忍ぶ恋だからこそ当事者にとってピュアな恋でもあります。不倫は、あくまでも当事者の自己責任であり、他人の色恋に干渉するのは「ヤボ」ってもんです】

【「雨上がり決死隊」宮迫博之の記者会見(2019年07月21日)
不倫は断じて犯罪ではないし、不倫のほうがより純愛に近い関係であることもあり得ると思います。LGBTの人々を差別しない、同姓婚を認めるという時代はすでに「一夫一婦制」の婚姻制度は破綻していることを受け入れるに等しいことを理解する必要があります。プライバシー保護の観点から見ても特に不倫はきわめて個人的な秘密の事柄なのであり、特に芸人やタレントの不倫・女遊びは昔から「芸のこやし」と言われるように芸の幅を広げたり、「道ならぬ恋い」は時として表現者としての奥行きや創作の活力につながるのであって、無粋な他人がとやかく口をはさむべき問題ではありません。芸人は、その芸を贔屓(ひいき)にするファンが育てるのであって、浮気等のささいなことで足を引っ張るようなことをしないようにファン同士が芸人を見守るという関係が芸能の世界にはあるのです】

【「小泉今日子の不倫」(2018年02月02日)
女優で歌手の小泉今日子が36年間所属していた芸能プロダクションから独立すると共に、かねてから妻子ある男優 豊原功補と不倫していることを自ら認めました。もしかしたら、小室哲哉が「週刊文春」の記事で不倫を報じられ社会的に抹殺されたため、彼女は不倫報道が出る前に自ら告白することでダメージを少なくしたのかもしれません。その結果、彼女の勇気ある告白に対して「賞賛」に近いコメントも聞かれるありさまなんです。不倫がバレた小室哲哉は叩かれ、自ら不倫を認めた小泉今日子は「賞賛」される、これこそ「メディアによる不倫いじめ」の実体なのであり、これこそ「不倫ハラスメント」なんです。不倫で叩かれたベッキー、不倫で左遷された局アナ、不倫の斉藤由貴。でも小泉今日子の不倫は叩かれない】

【「あいつぐ不倫騒動」(2017年09月18日)
問題は、不倫がさほど珍しい色恋沙汰ではなくなったのに、不倫がバレると当事者をさておいて部外者であるメディアが大騒ぎし、あたかもメディアが世間の代表であるかのような「正義面」をして、不倫が犯罪者であるかのように糾弾し、さらし者にし、世間に謝罪させることにあります。あえて言います。不倫だって純愛なんです、どうにも止まらない倫(みち)ならぬ恋なんです。特に芸能人やタレント・歌舞伎役者の不倫や浮気・遊びは文字通り「芸のこやし」なのであり、芸の幅や芸の奥深さを会得する最良の機会なのであって、政治家の愛人はごく最近まで「ステイタス」ですらあったのです。女性の不倫や浮気は許せないですって?そりゃ、アナタが間違っている。なにしろ男女平等・男女共同参画の時代なんだから。国会議員のダブル不倫が問題であるのなら、「選挙」という「みそぎ」を受ければいいのです。不倫した国会議員を選んだ地元の有権者に見る目がなかっただけなんだから】

【「不倫」2017年08月28日
実は、「不倫」なんて存在しません。「不倫」は週刊誌の芸能ネタにすぎないのです。なぜなら、わが国には「姦通罪」もなければ、不義密通罪もないからです。婚姻関係にある一方の配偶者が「婚外性交」した場合、別の一方の配偶者がその「婚外性交」の相手に損害賠償することができますが、「婚外性交」の事実を立証することは非常に困難であり、仮にラブホから「婚外性交」したカップルが手をつないで出てくる瞬間の写真が存在したとしても「不倫」を理由に離婚することはできません。なぜなら、個々の判例には様々な事情があり、夫婦の関係が修復可能と見なされることが大半なのです。「夫が不倫したので、ガッポリと慰謝料をふんだくって離婚する」という妻の計画は、夫側に離婚する意思がなければ必ず頓挫します。特に、妻が夫の不倫に寛容であった場合、それはもはや「不倫」ではありません。役者は浮き名を流すことで有名になり、浮気することが芸のこやしになるのです。「不倫」なんてヤボなことはいいっこなし、人様の色恋を見て見ぬ振りをする、黙って見守ってやるのが粋でありツウなんです】

芸能人や局アナの不倫が報道されるたびに、ワイドショーで騒がれたり、番組を降ろされる、CMを中止される、謹慎させられるというメディアによるリンチ(私的な公開処罰・処刑)が行われていますが、不倫はそれほど重大な犯罪なのでしょうか?
芸能人らのプライバシーに踏み込んで、その家族まで追い詰めることが報道のあるべき姿なのでしょうか?

なにが言いたいのか?ここらが本題です。
「ポリアモリー」とは複数のパートナーと同時に性愛関係を築くことであり、浮気や不倫とは明らかに異なる性愛関係のことです。
一般的な恋愛における「誠実さ」とは一対一の性愛関係を守ることであり、大衆世界ではそうした価値観にもとづいて恋愛が成立します。
しかし果たしてその「誠実さ」だけが恋愛における絶対的なに正しさなのかという疑念も浮かびます。

複数の人との恋愛関係と聞くと、なかには「不倫」「浮気」「ふしだら」「不貞」「不道徳」等の嫌悪感を抱くかもしれませんが、ポリアモリーは複数の相手とそれぞれがオープンに「誠実かつ真剣にきちんとした性愛関係」を作ります。(「ポリアモリー 複数の愛を生きる」平凡社新書・深海菊絵 著より)


類似した概念として「ノンモノガミー(非一夫一婦制)」があり、「同時に責任をもって複数の性的関係を維持すること」であり、夫婦でありながらお互いに恋人をもつ自由を認める「オープン・マリッジ」がその一例です。

伝統的な婚姻関係の規範は「夫婦間以外の性愛は禁じられている」のですが、性の多様性と性愛に関する寛容の進展とに伴い、複数のパートナーをありのままに受け入れ、それぞれを真剣に愛する「ポリアモリー」や「オープン・マリッジ」も許容すべき時代なんです。

たった一人のパートナーしか愛せないなんて窮屈ではありませんか?
一方が別の一人を独占すること、婚姻制度を守るために常に「愛してはならない人が生じる」なんてどこか矛盾している、そうではありませんか?
人生はもっと豊かで楽しくありたいものです。