善光寺扁額

長野市の善光寺の山門の扁額にある「善光寺」の文字は「鳩文字」と言われ、善光寺の「善」の字に二羽、「光」の字に二羽、「寺」の字に一羽、計五羽の鳩が描かれています。

しかし、「牛に引かれて善光寺参り」という有名な説話はありますが、善光寺と「鳩文字」とのつながりは不明なんです。
参考までに北信濃にはアケビ細工の「鳩車」という工芸品もあります。
古来より鳩は平和の象徴であり、他の寺院の扁額にも鳩や鶴・雉等の鳥類が描かれているので、「善光寺」の「鳩文字」が謎というほどの問題ではありません。

実は善光寺の鳩の謎は、「鳩文字」と境内の大量の鳩で有名だった善光寺に鳩が一匹もいないことです。

団体旅行が広がる昭和40年頃以前の善光寺は、参拝者も少なく、毎朝、社務所の職員が境内の鳩に餌を与えていました。
また善光寺の山門には鳩の餌である豆売りも2~4人おりました。

善光寺の鳩の豆売りは、善光寺大勧進敷地内にあった養育院のお年寄りが、養育院の維持管理を賄うために始めたようで、大勧進の養育院が1912年(明治45年)4月に三門下に売店を作ったという記録があります。

しかし、信濃毎日新聞の平成15年(2003年)8月30日の記事によれば、1750年(寛延三年)の建立以来初の大規模修理のため、善光寺の山門が翌月から解体工事に入るため、善光寺境内で名物の鳩の豆売りが8月末で姿を消すとの記述があります。
また境内に集まってくる鳩のフンも山門を傷めてきた原因の一つであり、仲店通りにある土産物店への鳩が巻き起こすホコリや鳥インフルエンザの影響などが考慮されたのでしょう。

1998年開催の長野冬季オリンピックがきっかけかと思ったら、善光寺の鳩の餌やり中止は長野冬季オリンピックから5年も後の2003年8月であったのです。

そういえば、浅草寺の鳩の鳩豆売りが消えたのも平成15年(2003年)12月でした。
ちなみに平成15年は、SARSがアジアを中心に世界的に大流行した年でもありました。