だらしない女
「だらしない女」と書くとドキッとする女性が多いと思いますが、今回は「だらしない服装の女性」について述べます。

2011年、カナダで「性犯罪に遭いたくなければ、女性はふしだら(スラット)な服装をすべきではない」とある警察官が発言したことに女性たちが反発して、わざとふしだらな服装でデモを行う「スラットウオーク」が始まりました。
テルアビブでも、女性に対する性的暴力やセクシュアルハラスメントに抗議する「スラットウオーク」が行われているそうです。

たしかに、どのような服装をするか、自分の魅力や個性をどのように表現するかは女性自身が決めることであり、まわりがとやかく言うべきではありません。
それでもなお、どう見ても「だらしない服装の女性」や「ふしだらな服装の女性」が気になります。

たとえば、わざとダメージ・ジーンズを履いて自分の価値をおとしめるファッションも、そもそも「自分の価値」がそれほど高くない人がすり切れたり破れたジーンズを履いて見せても、それは単に「みすぼらしく」見えるだけでしょう。
すり切れたり破れたジーンズを履くはずがない人が、小粋にすり切れたり破れたジーンズを身にまとうから、その意外性が際だつのです。

同様にもともと品格や気品が乏しい人が故意に「ふしだらな服装」をしても、さらに下品に見えるだけであり、「ふしだらな服装をするはずがない人」が小粋にふしだらを装うから、その魅力が際だつのです。

改めて画像を見て下さい。
大胆に肌を露出して山手線のある駅にたたずむ女性。
足もとは不似合いなサンダル、まるで「モンペ」のようなパンツ。
だらしないヒップライン。
素材が悪いだけではない、私はむしろもったいないと思う。
なぜ自分を大切にしないのか?
なぜ自分の価値を高めようとしないのか?
ファストファッションはあくまでも普段着なのであって、「装う」ものではないはず。