米国の白人警官によって首を膝で押さえ付けられて死亡した黒人のジョージ・フロイドさん。
イギリス西部の都市ブリストルで、人種差別に抗議する群衆が街に長年建っていたエドワード・コルストンの銅像を引き倒してエイボン川(ブリストル湾)に投げ込みました。
エドワード・コルストンは17世紀に設立された貿易会社「王立アフリカ会社」の一員で、約8万人の男女や子供をアフリカ大陸からアメリカ大陸に奴隷として送り込んだとされる人物。

コルストンは1721年に亡くなる際、多くの遺産を慈善団体に寄付しており、ブリストルには今もコルストンにちなんだ道路や記念碑・建築物が残っているそうです。

人種差別、特にアメリカにおける黒人奴隷の問題は深刻で、南北戦争はまさに奴隷制度を廃止するか、存続させるかの争いでした。
米国文学には、白人に尽くす真面目な黒人奴隷が登場する「アンクル トム」や、黒人の奴隷であるメイドが白人の主人公女性に仕える「風と共に去りぬ」など有名な小説や映画があり、最近、一連の黒人差別に配慮して米国の動画配信サービスが映画「風と共に去りぬ」の配信を中止したと発表しています。

たとえばアメリカの映画やTVドラマでも、白人の主役には黒人の準主役をキャスティングし、黒人の主役には白人の準主役をキャスティングするなど、登場人物にバランス良く白人と黒人をキャスティングして、人種差別を回避しています。

しかし、歴史的に著名な人物の銅像を引き倒すとか名作である「アンクル トム」や「風と共に去りぬ」をお蔵入りにすることは「歴史の隠蔽」になるのであり、権力者にとって都合の悪い書物を焼き払う一種の「焚書」であると思います。
むしろ、「アンクル トム」や「風と共に去りぬ」は冒頭に「人種差別の時代を反省すべきである」とのクレジットを入れて、堂々と放映すべきでしょう。

ヨーロッパには「魔女狩り」という宗教上の重大な女性差別が存在します。
20万人とも200万人とも言われる女性が一方的に火あぶりの刑に処せられたのです。
「魔女狩り」を行ったキリスト教も同様に、聖書の冒頭に「魔女狩りは誤りであった、二度と性差別はしない」旨の反省と謝罪を明記すべきなんです。

差別やいじめのない社会なんて存在しない。
でも、差別やいじめをなくす努力は続ける、そのためには差別やいじめを隠蔽してはならないのです。