パンプス苦痛
山手線の車内で見掛けたある女性の足もとです。
彼女は履いているパンプスが苦痛らしく、何度も靴からそっと踵を浮かせて履物から足を半分脱いでおりました。
それほど苦痛ならパンプスを履かなければいいと思うのですが、職場でパンプスを履くことを強制されているのかもしれません。
だから「#kutoo」( パンプスは苦痛)という運動が盛り上がったのでしょうが、彼女のパンプスを見ているうちに、ふと別の考えが浮かびました。

それは、女性が内包している「無意識の無関心」です。
もう一度画像を見て下さい。
彼女は、彼女が履いているパンプスが苦痛らしく、何度も靴からそっと踵を浮かせて履物から足を半分脱いでいた、でもそのパンプスを良く見るとパンプスのつま先が壊れており、どう見てもこのパンプスは「寿命」を超えているので履きにくいのは、むしろ当然の状態なんです。

駅の階段でパンプスやハイヒールのヒールが極端にすり減っていて、骨格の土台である履物が傾いたり、歪んでいる女性を見掛けます。
こうした履物のすり減りや履物の歪みや足腰の異変に気付くことなく、「無意識の無関心」ゆえに「#kutoo」( パンプスは苦痛)だと騒いでいるのではないのか。
女性はデザインやファッション・流行だけで履物を選ぶ。
だから靴メーカーもデザインやファッション・流行だけで履物を作る。
これでは快適な履物ができるはずがない。
女性自身が履物は骨格を支えている・歩行の安定を支えているという履物の機能を見落としている。
だから壊れたパンプスやすり減ったヒールのパンプスを平然と履いていられる。
その根底には「女性が内包している無意識の無関心」がある。