世界中で新型コロナ感染症の猛威が広がっています。

また様々な宗教やその信徒が新型コロナ感染症の平癒を願っています。
それなのに新型コロナ感染症は一向に沈静化しません。

キリスト教的に言えば新型コロナ感染症の拡大は、まさに「最後の審判」なのかもしれません。
仏教的に言えば新型コロナ感染症の拡大は、「あるがままに受け入れる」「あらゆる物事には実体がない・空である」と受け止めているのかもしれません。

しかし、緊急事態宣言や都市の封鎖という人為的な施策により、たしかに感染者数が減少します。
そう考えると神の「最後の審判」も、「あるがままに受け入れる」「あらゆる物事には実体がない・空である」と考える信教も、あえて言えば効果がない、人々の祈りには限界がある、祈りは無力であると言わざるを得ません。
ニーチェ流に言えば「神は死んでいる」ことになります。

大自然や宇宙こそ偉大な神である、あらゆるものに神が存在すると信ずる人々にとって、どこにでも存在するウイルスやバクテリア・酵母等の菌類には神がいないことになるのでしょうか。

仮にどこにでも存在するウイルスやバクテリア・酵母等の菌類にも神が存在するとすれば、「殺菌」という行為は「神殺し」となります。

新型コロナ感染症は、宗教と祈りの限界を露呈させたと思うのは、間違いなのでしょうか。